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■ コラム #02 『3歳クラシック ダービー馬〜皐月賞馬』

 ごく一般的な考え方として、高い素質を持つ2歳馬の場合、デビュー時期がいつになるかによって、その後の活躍の度合いが大きく変わる可能性があります。2歳重賞を狙うのであれば早いデビューが必要になるだろうし、あまりに遅いデビューだと3歳クラシックにも影響します。
 例えば、新馬戦もしくは未勝利戦での初勝利が明け3歳までずれこんだケースではどうでしょう。ダービーには間に合うけれど皐月賞には間に合わない。そうした状況は十分に想像できます。

 ところが、実際の競馬では全くそうではありません。

3歳勝ち上がりの皐月賞馬 3歳勝ち上がりのダービー馬
85 ミホシンザン
88 ヤエノムテキ
89 ウィナーズサークル 昭和天皇崩御による春季番組変更
96 フサイチコンコルド 年間番組表の大幅変更
98 セイウンスカイ
99 テイエムオペラオー
00 アグネスフライト 年間番組表の大幅変更
02 ノーリーズン
04 ダイワメジャー 馬齢負担重量規定の見直し

 84年グレード制導入以降、3歳時に勝ち上がったダービー馬は計3頭。対して皐月賞の場合は計6頭。つまり、勝ち上がりが3歳にずれこんだ場合、5月末のダービーには間に合わないが、4月中旬の皐月賞には間に合うという摩訶不思議な状況が生じています。ありふれた競馬知識ではとても説明できるものではありません。
 今さらあらためて言うまでもなく、ダービーは3歳戦の頂点に立つレースであり、全ての2・3歳戦は1頭のダービー馬を選出する事を目的に実施されています。そして、その過程に皐月賞は設計されています。にもかかわらず、皐月賞馬が決定するよりも先にダービー馬が決定しているという発想の転換が必要という事です。

 仮に、皐月賞馬の決定時期がレース直前、皐月賞トライアルの終了後だとしても、それ以前にダービー馬が決定しているとすれば、どんなに遅くても皐月賞トライアルが開始する時点でダービー馬選出作業は終えている事になります。つまり、1回東京・2回京都が終了した時点で、ダービー馬に選出されるために必要最低限な成績、オープン競走の1着歴が無くてはならない。
 ちなみに、84年グレード制導入以降に誕生したダービー馬のうち、この条件を満たしていないのは上記表の明け3歳勝ち上がりダービー馬3頭に04年キングカメハメハを加えた計4頭。フサイチコンコルド・アグネスフライト・キングカメハメハ以外の歴代ダービーは全て皐月賞に出走している事や、ウイナーズサークルの皐月賞が900万下条件馬の抽選出走である事を考えると、先に書いた仮定に反し、ダービーには間に合ったが皐月賞には間に合わなかったという常識的な事例を示すものとも思えます。しかし、番組改定等の影響を大きく受けた89年・96年・00年・04年の3歳クラシックでこうした“例外”が生まれる事は、むしろ当然なのです。

 次に、検証する対象を2歳勝ち上がりのダービー馬に絞り、皐月賞トライアルがスタートするまでに上げたオープン1着歴の開催時期を確認すると、全ての共通点として、牡牝に斤量差が生じる2歳後半戦以降のオープン競走1着歴が上げられます。これにより、牡牝同斤量で出走する2歳前半戦のオープン競走については、ダービー1着条件に対して有効でないと推測されます。もちろん、2歳夏季番組のオープンで活躍する早熟タイプではダービーに勝てないなどという類の話をするつもりはありません。
 実際の競馬では、馬房数制限の影響もあり、2歳馬入厩のタイミングは3歳未勝利馬の淘汰とシンクロして進められています。つまり、中央に登録された2歳馬すべての同時スタートなどハナから不可能であり、早い者勝ちで得られた夏季オープンの活躍がダービー1着条件に有効であったとすれば、それは著しく公平さを欠く事になります。
 2歳馬すべての中から3歳チャンピオンを決定するのであれば、本格的な選抜作業は2歳馬のデビューの態勢が整った時点、つまり3歳未勝利馬の抹消が片付いたタイミングで始めるべきでしょう。そしてそれは、牡牝斤量差が生じる2歳後半戦の開始時期にほぼ一致するのです。
 04年競馬番組における馬齢負担重量規定の全面的な見直しを受け、牡牝斤量差1`が生じる時期が1ヶ月前倒しされた際、同時に、3歳未勝利競走の終了時期が早められた事も、そうした背景によるものと考えられる。

 最後に、ダービー予想とは直接に関係しない話ですが・・・2歳G1が行われる5回中山・5回阪神よりも前、5回東京・5回京都までの2歳オープン競走1着歴を持つ馬が皐月賞を勝った例は94年ナリタブライアンの1頭だけ。
 2歳G1からダービーへのルートと、皐月賞からダービへのルートが別々なものだとすれば、その両方を制したナリタブライアンに特別な戦歴が求められていたとしても不思議じゃない。そしてそれは同時に、91年ミホノブルボンのダービーがゾロ目決着だった理由なのかもしれません。